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東京地方裁判所 平成4年(ワ)20062号 判決 1995年12月14日

原告

栃木茂男

被告

林田秀喜

主文

一  被告は、原告に対し、金一六三万九九四七円及びこれに対する平成元年一一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一原告の請求

一  被告は、原告に対し、金二六〇万円及びこれに対する平成元年一一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用の被告の負担及び仮執行宣言

第二事案の概要

一  本件は、原告が、原告車両を運転し、信号待ちのため停車していたところ、被告車両に追突されて傷害を受けたこと、及び事故直後に被告に暴言をされたことから、被告に対して、その人損について賠償を求めるとともに、右損害とは別個に、暴言に対する慰謝料を請求した事案である。

二  争いのない事実

1  本件交通事故の発生

事故の日時 平成元年一一月一五日午後二時四〇分ころ

事故の場所 東京都渋谷区幡ケ谷一丁目一番一号先甲州街道下り線路上

加害者 被告。被告車両運転

被告車両 普通乗用自動車(練馬三三ぬ八九三五)

被害者 原告。原告車両運転

原告車両 普通乗用自動車(品川五二さ五二九五)

事故の態様 原告が、原告車両を運転し、信号待ちのため停車していたところ、被告運転の被告車両が原告車両の後部に追突した。

2  損害の一部填補

被告は、原告に対し、治療費等として一二〇万円を支払つた。

三  本件の争点

1  本件事故による原告の損害額

(一) 原告

原告は、本件事故により頸椎捻挫等の傷害を受け、事故当日から平成二年八月二九日まで日本医科大学附属病院等で通院治療を受け、このために次の損害を受けた。なお、原告は以前別の交通事故により傷害を受けたが、これに因る後遺障害は、本件事故当時殆ど完治しており、その影響はない。

(1) 治療関係費

<1> 治療費 四五万二三二五円

<2> 通院交通費 七万六三五〇円

(2) 休業損害 二六五万〇〇〇万円

原告は表現社という商号で出版関係の営業をしていたが、本件事故のため少なくとも二六五万円の利益を逸した。

(3) 慰謝料 一五〇万〇〇〇〇円

右傷害のため一〇か月間頸部の痺れ、痛みに苦しめられた。

(4) 弁護士費用 四〇万〇〇〇〇円

右合計五〇七万八六七五円から前記填補額一二〇万円を控除した金額のうち二四〇万円が本件事故による損害賠償請求の主たる請求部分である。

(二) 被告

本件事故は、被告車両が原告車両に軽く追突したものであつて(被告車両は修理を必要としない。)、原告の頸部に対する衝撃の程度は極めて軽微なものであり、本件事故と原告の負傷との間に相当因果関係はない。

仮に相当因果関係があるとしても、原告は以前別の事故による頸椎捻挫の既往症を有しており、また、原告自身の心因的要因の影響もあるから、右身体的及び心因的素因に基づき八割を減額すべきである。

2  暴言による不法行為の成否

(一) 原告

原告が本件事故による痛み等のため原告車両内でうずくまつている時に、被告は、脅かす様な口調で「お前ふざけているんじやないか」とか「お前、保険金詐欺か」等と怒鳴りつけたため、原告は生きた心地がしなかつた。これを慰謝するには二〇万円を下らない。

(二) 被告

右事実を否認する。「この程度の事故でそんなに動けなくなるはずがないじやないか」と警察官の前で言つたに過ぎない。

3  時効の成否

(一) 被告

仮に、右暴言による不法行為が成立するとしても、原告がこれを本件事故による損害賠償とは独立の不法行為として主張したのは、右発言後三年以上経過してのことであるから、時効を援用する。

(二) 原告

右暴言の内容は、交通事故による損害賠償請求の訴状中に主張しており、既に同請求の一部として求めていたのを別個の不法行為として法律構成を変更したに過ぎず、時効の抗弁は失当である。

第三争点に対する判断

一  原告の傷害の程度

1  甲一ないし四、一四、一五、二一ないし二三、二六ないし三〇、三三、乙一、二、証人成田哲也、原告本人に前示争いのない事実を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 原告は、昭和六〇年八月五日に追突事故(以下「前回の事故」という。)に遇つて、頸椎捻挫等の傷害を受け、同月一〇日から日本医科大学附属病院で治療を受けていた。このときは、頸部痛、左上肢痛、痺れ感等があり、昭和六三年七月八日に症状が固定したが、症状固定後も痺れ感や頸部筋肉の緊張があり、同病院に通院して、運動療法を継続した。そして、これらの症状は運動量が多い時にのみ出現する程度となり、平成元年一〇月四日には、筋肉の力も付き、原告自身も良くなつてきたと感じるようになつたので、三ケ月後に経過観察をすることとなつた。

(2) 同年一一月一五日に起きた本件事故は、原告が原告車両を運転し、信号待ちのため停車していたところ、被告運転の被告車両が時速約一〇キロメートルの速度で原告車両の後部に追突したというものであり、原告は、その衝撃により首筋が後方にそり返り、頭部と腰部に痺れ感が生じた。なお、原告車両は、本件事故により後部バンパーがやや凹み、また、エキゾーストパイプが折れたので、これらの取替修理のため合計一八万二六四九円を要した。

原告は、事故後、救急車で玉井病院に赴き、治療を受けた。

(3) 原告は、同年一一月一六日から日本医科大学附属病院において頸椎捻挫の傷病名で治療を受けた。同日は時間外の診察であつたところ、頸部痛の自覚症状があり、他覚的には運動痛、圧痛があつたが、その他は異常がなく、とりあえず頸椎カラーで頸部を固定することとなつた。一一月二〇日に、担当医である成田医師の診察を受けたところ、中程度の症状と診断され、筋弛緩剤等の投薬療法が行われた。同日から平成二年一月後半までは安静が必要なため、原告は、三、四日に一度の割合で治療を受けたが、同月二四日には温熱療法を受け、二六日からは理学療法を受け始めた。そして、同年五月中旬までは休診日を除きほぼ毎日治療を受けたが、その中で、三月七日からは運動療法に切り換えられ、四月一八日に投薬療法を中止しても良好な経過となつた。このため、五月二二日以降は通院間隔も長くなり、右傷害が治癒した八月二九日までは五日間通院したに止まる。

なお、原告は、三月二一日に別の追突事故に遇つたが、これによる所見がなかつたことから、同日以降も本件事故によるものとして治療が継続された。

(4) 前回の事故による原告の治療の一部期間及び本件事故による治療のほぼ全期間に亘つて診察した日本医科大学附属病院の成田医師は、前回の事故では原告には外傷後の神経根症があつたが、本件事故では神経症状は認められず自覚症状のみであると考えている。原告自身も、前回の事故では痛みよりも痺れ感が先ずあつたが、本件事故では痛みが主であると説明する。なお、前回の事故の時は、原告は、脳外科の検査結果等から心身症とも診断され、心因的要因があるものと認められている。

成田医師は、前回の事故が神経学的に問題のない程度まで回復したこと、及び本件事故では神経症状がないことから、前回の事故の影響はないとの意見であり、また、前回の事故では、心身的、精神的な影響は否定できないものの、本件事故の場合は、神経の症状として心因性のものが関与せず、これを考慮に入れる必要はないとの意見である。実際、同医師は、本件事故による頸椎捻挫の診察中も、心因性のものがあると疑うべき要因を発見していない。もつとも、心因性の有無の判断には医師の主観が入る場合があり、一般的には個人の属性の問題もあるということができるとの意見でもある。

以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。

2  右認定事実によれば、原告車両の被害の状況等からすれば原告が本件事故により重大な衝撃を受けたということができないとしても、成田医師は、その初診時に原告には中程度の頸椎捻挫の傷害があると判断しており、その後の治療経過、特に、治療方法の変遷からしても、原告は、本件事故により、同医師の判断どおりの程度の頸椎捻挫の傷害を負つたものと認めるのが相当である。このようなことから、原告の本件事故後の前示治療の全期間について本件事故と相当因果関係があるものと認められる。

次に、前回の事故の影響であるが、前認定のとおり、本件事故直前の平成元年一〇月四日には原告には筋肉の力も付き、神経学的に問題のない程度まで回復したのであり、原告の担当医である成田医師も前回の事故の影響はないとの意見であることから、これを否定するのが相当である。この点、保険会社の顧問医である佐藤医師は、原告の心因的要因が大きいことと本件事故が三ケ月後に経過観察をすることとされたその期間内に生じたものであることを理由として、前回の事故の影響は五〇パーセントあるとの意見である(乙四)。しかしながら、前者の心因的要因は前回の事故と無関係なものであつて理由がなく、後者の経過観察中の事故の点についても、証人成田哲也によれば、原告は平成元年一〇月四日にはほぼ完治の状況にあるものの、なお、症状が出るかどうかを確認するための期間であることが明らかであり、この点も理由がない。特に、原告に対しては、前回の事故についての後遺障害の逸失利益は本件事故時までしか認められていないのであり(甲二六)、前回の事故の影響を理由に本件事故において減額をすることは、不当に原告の損害を圧縮することとなり、相当ではない。

最後に、心因的要因の点であるが、前認定のとおり、成田医師は、本件事故後の原告の診察中に心因性のものがあると疑うべき要因を発見していないこと等から、これを考慮に入れる必要はないとの意見であり、これを採用すれば、本件事故については心因的要因はないこととなる。もつとも、前回の事故では心因的要因が認められ、これを理由に損害額の三〇パーセントの減額がされているのであり(甲二六)、個人の属性の問題でもあり得ることから、本件事故でも心因的要因があつたものと考えられないわけではない。前示佐藤医師もこの点を肯定する(乙四)。しかし、仮に、本件事故において心因的要因の存在を肯定したとしても、原告の実質の治療期間は、本件事故日から平成二年五月下旬ころまでの七カ月間であつて、特に長期に亘つたということができず、当該要因を理由に損害額を減額しなければ公平に失するということができないから、いずれにしても民法七二二条二項の類推適用をすべきでない。

二  本件事故に関する原告の損害額

1  治療関係費

(1) 治療費等 四四万九五四五円

甲四、三三、乙六の1、2、原告本人によれば、原告は、玉井病院の治療費等のため三万五九九〇円、日本医科大学附属病院の治療費等のため四一万三五五五円を要したことが認められる。

(2) 通院交通費 なし

原告は、通院交通費として七万六三五〇円を請求し、前認定の通院のため交通費を要したことは容易に推認し得るが、具体的な金額を知る証拠はない。このため、通院交通費としては認めることができないが、慰謝料で斟酌することとする。

2  休業損害 一三一万〇四〇二円

甲五ないし一三、原告本人によれば、原告は、表現社という商号で、印刷物の企画、編集一般を行う出版関係の営業をしており、平成元年度は、前回の事故による影響もあつて九七三万四八二四円(うち、一月から一〇月までは八四五万九〇〇二円)を売り上げ、四九二万九九七九円の利益を得ていたこと、平成二年度は、本件事故にかかわらず一二二六万〇〇四五円を売り上げ、六一八万三二六三円の利益を得たこと、平成三年度は、一八一九万〇八八三円を売り上げ、一一〇七万〇五三六円の利益を得たことが認められる。そして、右認定の売上げに基づき、本件事故前である平成元年一〇月までの一月当たりの収益を推認すると、次の比例計算どおり四二万八三八六円となる。

492万9979円÷973万4824円×845万9002円÷10=42万8386円

次に、本件事故による影響はないと見られる平成三年度の一月当たりの収益は、一一〇七万〇五三六円を一二で除した九二万二五四四円となり、本件事故は前回の事故による影響の回復時期にあつたことから、本件事故がなければ、一月当たり右四二万八三八六円と九二万二五四四円の平均値である六七万五四六五円の収益を得ることができたものと推認されるから、この値を基礎に原告の休業損害を算定することとする。

前認定の事実によれば、原告は、本件事故のため、平成二年五月二二日までの全日は治療を受け、又は安静にしておく必要があつたが、同日以降は五回通院したのみであることから、休損期間は、本件事故日から右平成二年五月二二日までの一八九日と右五日の合計一九四日と見るのが相当である。そして、原告は本件事故にもかかわらず、相当の収益を上げていること及び原告の職種から、右期間中三〇パーセントの休業を強いられたものと認めるのが相当であり、これら数値を基に休業損害を算定すると、次のとおり一三一万〇四〇二円となる。

67万5465円÷30×194×0.3=131万0402円

3  慰謝料 九〇万〇〇〇〇円

前認定の原告の傷害の程度、通院の日数、通院交通費を認めなかつたこと、その他本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、傷害慰謝料としては九〇万円が相当である。

4  以上の合計は、二六五万九九四七円となるところ、原告が一二〇万円の填補を受けたことは当事者間に争いがないから、同填補後の原告の損害額は、一四五万九九四七円となる。

三  暴言による不法行為の成否

1  甲一五、原告本人によれば、本件事故直後、原告が本件事故による痛み等のため原告車両内でうずくまつている時に、パンチパーマをかけた被告は、原告に対し、「お前が走らないからおれがぶつかつた」とか「お前、保険金詐欺か」等と言い、このため、原告は畏怖の念を抱くとともに不愉快な思いをしたことが認められる。乙五は、被告代理人が大阪刑務所内において被告本人と面接をしたときの聴取書であり、これによれば、被告は、右事実を否定しているが、前認定の事実に照らして採用しない。

そうすると、原告車両に追突して、一方的に過失のある被告が、これによる傷害のために苦しんでいる被害者に右のような発言をすれば、被害者である原告が不愉快、かつ、恐怖の念を抱くのは当然であり、これによる精神的損害を慰謝するには三万円が相当である。

2  被告は時効を主張するが、本件記録によれば、原告は、本件訴状において本件事故による慰謝料の斟酌事由として右発言の点を指摘していることが明らかである。そして、本件事故による慰謝料を含む損害賠償請求と被告の右発言による別個の不法行為としての慰謝料請求とは別個の訴訟物ではあるが、本件訴状において本件事故による慰謝料の斟酌事由として右発言の事実を主張している以上、別個の不法行為たる訴訟物としての権利を主張したものと同視し得るから、原告は本訴提起の段階で右別個の不法行為についても「裁判上の請求」をしたと評価することができるというべきである。仮に、そのような評価をすることが許されないとしても、原告は、発言の点を指摘し、かつ、これに関する慰謝料を請求をしているのであつて、右主張に、少なくとも別個の不法行為による慰謝料請求に関する催告としての効力は認められ、慰謝料の斟酌事由としての主張が右発言による独立の慰謝料請求をするまでは撤回されていないのであるから、本件訴訟係属中は、右催告は継続しているものと見るべきであり(最高裁判所昭和三八年一〇月三〇日大法廷判決・民集一七巻九号一二五二頁参照)、いずれにしても、原告の本訴提起により、時効は中断されており、被告の時効の抗弁には理由がない。

四  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過及び認容額等の諸事情に鑑み、原告の本件訴訟遂行に要した弁護士費用は、金一五万円をもつて相当と認める。

第四結論

以上の次第であるから、原告の本件請求は、被告に対し、金一六三万九九四七円及びこれに対する本件事故及び右発言の後の日である平成元年一一月一六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるが、その余の請求は理由がないから棄却すべきである。

(裁判官 南敏文 竹内純一 河田泰常)

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